カップリング曲にこそ、歌い手の本質が存在する。
その人の私生活が見えてくるような感覚。
タイアップ無しであればなおさらである。
YUIはインタビューで、SUMMER SONGについて語る際、タイアップの無い曲が久しぶりである事に関して、嬉しさを滲ませた。
曲を売りたい一心の人間からすれば、タイアップが無いことはマイナスと捉える人もこの世にはいる。
しかし、自分の育てあげた "息子" のような楽曲が「〇〇の挿入歌」という肩書きだけで印象づけられては心苦しさを覚えるシンガーソングライターもいる。
一番嫌なのは、「〇〇のCMのために曲を作って下さい。だいたいこんな感じで。」のような形で曲を作らされることだ。
そもそもこんな事は、アイドルなどのように自分たちで曲をつくることの少ない歌い手に関してはまだ良いが、シンガーソングライター相手にやっていいことではないと思う。
正しい方法はこうだ。シンガーソングライターがタイアップ目的ではなく、純粋にあるがままの音楽をつくっていく中で、依頼側はCMであれば、既に存在する曲の中からCMに合ったものを見つけ出し、「この楽曲をCMに使わせてくれませんか」という形である。
もちろん、この形をきちんととっている例もある。
映画「バケモノの子」の監督は、「Starting Over」を聴いて、歌詞と楽曲の両方とも映画の世界観を表現してると絶賛し、その上でMr.Childrenに依頼をして同曲が主題歌に決定した。
タイアップと検索すると最初にこんな説明がある。
「音楽業界においては、レコード会社はアーティストの売り上げを上げるため、その曲の知名度を上げることを目的としてタイアップを使う。」
月9「ラブソング」に登場したシェリルのように売れる売れないしか考えないアーティストに対しては構わないが、少なくとも私が好きなアーティストにそんな人はいない。(※シェリルは役柄としての話であって、演じたLeolaさんは素晴らしい新人アーティストである(笑))
「芸術性を求めるヨーロッパや北米などでは、タイアップは商業的だとされ、ネガティブイメージを伴う。そのためプロモーションはPVを中心として行われ、ミュージシャンはサウンドトラック以外のタイアップを嫌うケースが多い。」
果たして日本の音楽に芸術性は必要ないのか…芸術性がそもそもないのか…そんなはずはない。
だが、実際のところ、J-POPのほとんどのアーティストが、タイアップ商法の元で曲をつくる機会に出くわす。映画「バケモノの子」の例のようなパターンなら何も問題ないが、そうでないパターンが多い。中には、寛大な心をもって、依頼側の要望を汲み取りながらも、自分の曲に対する思いをブレずに表現して曲を完成させる人もいる。だが、だれもがみんなそんな寛大な心で器用にできるものなのだろうか。こういう音楽を届けたいという思いがあるのに、どうして制限された中でやらなければいけないのか。そのせいで、プレッシャーを感じ、苦しむアーティストもいるということ。それを分かってほしい。分かった上で、改善してほしい。